死ぬほど後悔しながら死ぬ-ダーレン・アロノフスキー『レスラー』
随分と話題になっていたので『レスラー』を観た。なぜこれが話題になっているのだろうか、最初はそれほど素晴らしいものとは思えなかった。だが、なにか引っ掛かるものがある。そして、もしかするとこれは映画としてはかなりいいのではないかと思い始めている。
最初はなんてつくりが雑な映画なのだろうと感じた。やたら意味深なドキュメンタリータッチの映像は、こうすればより真実っぽく見えるだろうと考えたからなのか。だったらなんで途中で変な回想シーンを入れたのだろう。確か14分前を回想していたが、そんな構成にする必要があるのか。
物語も変だ。
ようやく回復しかけていた主人公と娘の関係が、とってつけたような理由で台無しになる。というよりも、主人公から無理矢理娘との関係を奪うためにそうしたとしか思えない。その理由が娘とそれほど年齢が違わない女によるというところも、とってつけたようだ。だいたい心臓病でプロレスができないという話にしておいて、おもいっきり麻薬とセックスを楽しんでいるのは変だろう。それに、最愛の娘とは言うけれど、主人公は手術後に馴染みのストリッパーにせっかくだから会ってきたらと言われてやっと娘のことを思い出したのだ。なにが最愛なんだ。
スーパーの惣菜売り場で主人公が働いている。着任したときは結構楽しげだったはずだ。それなのに、客の意固地な婆さんに無駄な動きを強いられて苛々してしまい、すぐあとに来た客の男にかって名を馳せたプロレスラーであることに気付かれ、それがきっかけで主人公はあっさり職場を去る。意固地な婆さんや正体に気付く男は主人公から職を奪うためだけに登場させられている。
死を覚悟して臨んだ試合に、馴染みのストリッパーが駆けつける。一緒に生きようと言って彼が試合に出ることをとめようとしてくれる。彼はプロレスでの死よりも現実が辛いと口にして、彼女の申し出を拒絶する。だが、娘との不和やスーパーマーケットでの仕事などは、彼がほんの少し努力すれば、なんとかなった現実ではないのか。
それが証拠に、死のダイビングをおこなう直前、ストリッパーがさっきまでいた舞台袖から姿を消していることを知り、主人公はトップロープで涙ぐむ。本当は自分が現実を選び損ねたことを死ぬほど悔やんでいたのだ。
だが、いままで書いてきたことはこの映画の欠点なのだろうか。
ドキュメンタリータッチの映像はむしろこれが虚構であることを強調していたのではないだろうか。プロレスがレスラー同士で打ち合わせて行われていることを丁寧に描いていたのは、単にプロレスの虚構性を暴くためではないのではないか。ほとんどとってつけたような物語も、虚構性を執拗に示すためではないのか。そして、主人公がトップロープで涙ぐむのは、映画の観客の欲望を一身に受け、不本意な生を生きさせられたことへの異議だったのではないか。
せめてエイドリアンがそばにいて欲しい。彼はそう思わなかっただろうか。
- 映画ノート
- 2011年01月11日
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